MINOTAKE LIFE

死ぬまで無事系サラリーマンの、身の丈に合った生活

音楽を「熟読」することについて

村上春樹は『村上さんのところ』で「翻訳するのは究極の熟読みたいなもの」と書いていた。

自分にとっては、バンドでBassを弾く、あるいは部活でTubaを吹くことが、いわば「音楽の究極の熟読」のようなものだったのかもしれない。

自分で演奏できるようになるまで、何十回も繰り返し弾いて、音源を聴き込み、楽譜を読み込む。そうやって体で覚えた曲のBassは今でも弾けるし(Tubaは手元にないから自信ないかな)メロディをそらで歌えるし、音源は今聴いても本当に色あせない。そうやって「熟読」した音楽は、たぶんずっと人生の支えになってくれる。

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後悔のようなことを言えば、時間がある学生のうちに、もっともっと音楽を熟読しておけばよかった。

逆に希望を書くならば、学生時代のようなペースで音楽を熟読することはむつかしくても、まだBassもGuitarも、なんならUkuleleも手元にあるから、つま弾いて熟読することはできる。