MINOTAKE LIFE

死ぬまで無事系サラリーマンの、身の丈に合った生活

令和の"R"はRunの"R"


あけましておめでとうございます。

元号が変わることの意義がよく掴めぬまま改元を迎えましたが、タモリが「西暦はページ数、元号は日本人だけの章」と言っていたことを知り、はあなるほどな、さすがタモリ、わかりやすく例えるなあと、腹落ちしました。

新しい章の始まりは、わくわくする。

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GWの10連休を待つまでもなく、ふだんの土日でも、家にずっといると気持ちがくさくさしてくることがある。妻のとりとめのない話、5歳児のとりとめのない話、2歳児の何言ってんだかわからないけど僕が返事するまで終わらない話。耳と口だけがかろうじて反応しているような状態に、耐えられなくなってくる。このモードに入ると以前は不機嫌スイッチが入って、荒れた。当たり前のことだけど、家で荒れることのメリットなど一つもない。最近はこのモードを予知すると、自転車(クロスバイク)で走りに行くことにしている。幸いなことに近くに気持ちのいいラン&サイクルの専用道があり、そこを40分も走れば気持ちは切り替わり、妻と子のとりとめのない話もにこやかに聞けるようになる。これが一つ目の"run"。

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もう一つの"run"がランニングだ。かれこれ1年以上、5時に起きる生活をしている。検定の勉強や読みたい本があるような時期は貴重な時間だけど、特に目的のない時期はもったいない過ごし方をしてしまう。ひどいときには、朝からエッチなサイトを見に行ったりする。33歳の健康な男としてある意味では健全な営みかもしれないが、事後の自己嫌悪は言いようもなく大きい。

思春期からずっと言われていることだが、モンモンとしたら運動するに限る。

さして目的意識のない朝は、何も考えずにウェアを着替え、AirPodsを耳に入れて走りに行く。ここでもラン&サイクルの専用道に出て、TBSラジオ「JUNK」をタイムシフトで聴きながら、走る、走る。

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ランニングがブームと言われてもう10年以上経っているだろうか。それでもまだ下火にならないのは、それなりに人間の活動としてしっくりきているからだと思う。少なくとも僕の体は、生活の一部として「走る」ことを受け入れ、あるいは必要なこととして求めている。

意識したわけではないけれど、村上春樹が走り始めたのが、今の僕と同じ33歳。『走ることについて語るときに僕の語ること』をバイブルとして携えている僕にとって、無視できない素敵な要素だ。

僕の「令和」という章では、走ることの存在が大きくなる予感がしている。