MINOTAKE LIFE

死ぬまで無事系サラリーマンの、身の丈に合った生活

然るべき時、然るべきことをやっておかないといけない

この2年ぐらいだろうか、大学の4年間の過ごし方を大いに反省している。

Google  Keepに列挙したのがこれだ。

・ジャズサークルに入っておけばよかった(正確には入ったものの、親に反対されてすぐに辞めてしまった)
・(高校から付き合っているつもりだったが、もはや関係が終わっていた彼女とずるずる付き合っていた)早く別れればよかった。いつかセックスできる、というだけで、もう好きでもなんでもなかった。「高校から付き合ってる彼女がいる」をお守りのように後生大事にしていたら、結局ヤれないまま捨てられた。悲惨wwww
・家を出るべきだった。実はこれが一番の反省かもしれない。貧乏でもなんでもいい、バイトして自分の力で生活して、自由を手にしておくべきだった。この自由は大学4年間の特権だった。友達と雑魚寝したり、女連れ込んだりするのが絵になるのは大学の4年間だけだ。
・バンドをもっと本気でやっておくべきだった。コンスタントにスタジオに入って、うまくなって、もっと活発に活動したかった。ワゴンに乗ってツアーの真似事でもしておけばよかった。今やったらただの痛いおっさん集団にしかならない。2004~2007の、大学生がやることに意味があった。我々は、ハイスタの残り香が残る2000年代中盤のバンドシーンに最適化されたバンドだった。
・バイトを本気でやっておくべきだった。自分で金を稼いで、もっと使っておけばよかった。大学生のときに使うことに意味のあるお金というものが、あるような気がする。何かな。風俗とか、バイクとかかな。
・旅に出ておくべきだった。日本をもっと見ていれば、もしかしたら海外にもっと興味を持てていたかもしれない。
・勉強にもっと本気で取り組むべきだった。会計というのは間違いないチョイスだった。これは何も後悔していなくて、いい選択だったと今でも思っている。でも、もっと本気に。もっと堂々と会計を勉強していた、と言いたかった。

自分で読んでいて心が痛むが、大学を卒業して13年経って、やっと言語化できるようになったと前向きに捉えてもよさそうだ。

 

バンドと吹奏楽部に捧げ、人生の黄金期だった高校3年間。その総まとめの吹奏楽部の定期演奏会が終わったのが、3月末。3月3日の卒業式で全然悲しくなかったのは、この定期演奏会のために毎日高校に練習に行くのが決まっていたからだ。まだOBではない、でももう卒業した身分で高校に行くというのは、なんだかとても気持ちのいいもので。受験で練習できなかった分を取り戻すために結構ちゃんと練習したのも、青春感を盛り上げた。そんな黄金期の総まとめになる定期演奏会が満足感とともに終わった夜。ソフトドリンクで打ち上げをして、同じ部だった彼女を家まで送って、ちょっとキスとかして別れた。バス停で一人バスを待ちながら、ああ本当に終わってしまったんだ、高校最高だったのに終わっちゃったなという思いが津波になって押し寄せてきて、どうしようもない喪失感を覚えた。失ったものが大きすぎて、絶望ですらあった。

 

それから一週間も開けないうち、まだ高校生活が終わった喪失感が抜けないまま、ぼんやりと大学が始まった。大学の連中はくだらなく、あまりにも幼稚だった。高校が最高すぎた。滑り止めの大学はこれだから嫌なんだ。それしか思えなかった。

大学受験に失敗した僕は、親に半ば強引に会計士受験の道を進まされた。だが上にも書いた通り、ここで会計を勉強したおかげで今の仕事に在りつけているので、このことは後悔していない。

でも、おおざっぱに言うと、会計士の勉強が難しくてついていけないのに、専門学校に行っている振りをしていた4年間だった。同居していた親は気づいていただろうか。これは怖くて今でも聞けない。

後半2年間は、もう家で勉強する、と親には言いながら実際には全然勉強せず、ほぼ引き籠りの生活をしていた。大学も2年生、3年生はほとんど行っていなかった。昼夜逆転、ずっとPCで2ちゃんねるとエロサイトを交互に眺める生活をしていた。明日は朝起きて大学に行こう。明日は一歩外に出よう。そう思って明け方寝て、起きるとPCの電源を付ける。なかなかこの循環を抜けられなくて、最悪だった。

成人式は出たけど、高校の同窓会には出す顔がなくて、会計士の勉強があるから、と言って、まだ明るいうちに一人で帰った。親には高校の同窓会に出るからと言った手前、すぐに家に帰れない。でもスーツ着て行くあてもない。お茶して時間をつぶす金すらもない。で、どうしたか。マンションの非常階段に座って、いい頃合いの時間になるのをじっと待っていた。なんか、その時はこの行動を変だとは思っていなかったのが、本当にやばい。

ゼミでスノボ合宿、といういかにもな行事も一回だけ参加した。そのときはまあまあ酔うまで飲んだり、男女2対2で雪道を行くみたいな、それなりに楽しい思い出もある。こういうのもっとやっておけばよかったんだ。

嘘と虚しさで固められた人間だったけど、いつか自分が奮起して会計士試験に受かると思い込んでいた。現実が見えていない、哀れな無気力の権化だ。

そんなこんなしてるうちに大学4年、同級生は就活が佳境に入り、あるいは早々に就職を決めて最後のモラトリアムを謳歌していたが、僕は卒業するためには単位を一つも落とせない状況で、週5日間ほぼフルに授業を入れていた。さすがに留年は親に顔向けできないので、淡々と授業に出続けた。今思うと、嫌でも外に出なければならなかったこの状況が間接的な社会復帰になった。こうなりふり構っていられなくなると、他人の目なんて気にならない。一人飯はこの時克服した。

なんとかかんとか卒論も仕上げ(振り返るとひどい代物だったけど、教授は満点をくれた。出せば満点、出さなきゃ0点。そういう教授だった)、卒業。卒業式も一人で行って、こっそりと一人で帰った。寂しいけど、自分の4年間の総決算としてこれ以上でも以下でもない感じ。妙な納得感があった。

浪人で迎えた5月の会計士試験短答式は、会場の下見はしたけど当日はブッチした。落ちるのがわかってる試験を受けたいわけがない。親には「受けたけどダメだった。もう就職する」と言い、あっけなくモラトリアムは終わった。親はスーツを2着仕立ててくれた。

大した勉強もしてないくせに「元・会計士受験生」を売りに経理求人に応募しまくり(この時書類で落ちた会社は、今勤めてる会社の親会社だったりする。不思議な縁だ)、あと何を思ったかホテルマンの求人にも応募した。ホテルは2次面接の案内までもらったけど、同時に受けた会社(経理職)に受かったのでホテルマンの道は捨てた。あのままホテルマンになってたらどうなってただろうか。すごいいいか、すごい悪いかの二極だと思う。

新卒でも第二新卒でもない、よくわからないルートでぬるっと就職して10年経理をやり、最後はマネージャーまで任せてもらった。腐った大学生活とはまるで違う、自分でいうのもなんだけど社会人になってからは本当に悪くない生活をしていると思う。

27で結婚して、29で父親になり、30で家を買い(ローンを背負い)、31で二人目がうまれ、33で条件のいい転職をした。奇跡か。ちょっとうまく行き過ぎている。

もちろん27で結婚なんて早かったと思わなくもない。独身で好きに使える金が増えたらどんな生活をしてただろうか。想像すると結構楽しい。自分の世界に入りすぎて、結婚できない男になっている可能性も否定できない。

でも今になって、大学4年間がすごく輝いている。とても勿体ない過ごし方をしたと悔やんでいる。コロナ前への憧憬もあるかもしれない。2000年代中盤。インターネットは今ほど幅を利かせてなくて、外ではiモード全盛。たばこも安かった。あの時代に、バンドをもっとやっておけばよかった。一人暮らしで自由を謳歌しておけばよかった。女をもっと知りたかった。ちょっとぐらい無茶して、多少痛い目にあっておけばよかった。べたなモラトリアムを満喫しておけばよかった。大学生だから許される社会勉強のようなものを、何もしないまま大人になってしまった、という思いが今になって大きくなっている。今みたいな監視社会じゃない時代への回顧だろうか。

もし今そんな生活をしたら、真正の痛いオジさんでしかない。20歳前後の特権を、恥ずかしがらずに活かせばよかったんだ。斜に構えてないで、もっと無邪気に、若者を謳歌しておけばよかった。

絶対に叶わない願いだから、安心して願っているだけかもしれない。

現実的な願いを持つことが、なんだか空しい。これはコロナ渦のせいなのか、年齢なのか、性格なのか、安倍さんの長期政権が終わるせいなのか。すぐに変わる時代の中で、現実的な願いを持つことがバカバカしく感じているのか。それとも、目の前のタスクで視野が狭いだけなのか。

よくわからないまま過ごしていたら、寝苦しい布団を抜け出して、この赤裸々な作文を書き殴っていた。何も解決してないけど、書いてよかったとは思っている。